ピーエスの取り組み - 過ぎたるは及ばざるに劣る

伝統食

その23. 日本食のすすめ(上) 「生命なき食物は生命の糧とならず」

生理学博士 久間英一郎

人類史上、戦後の日本ほど食生活が劇的に変化した例はない、といわれています。季節感、地方色がないばかりか国籍さえも不明になってしまい、別表の通り、カタカナ食の天下になってしまったのです。

具体的には、米・味噌汁・漬物等が減り、パンが増え、肉・卵・牛乳・油脂・乳製品のような動物性蛋白質と動物性脂肪が大幅に増えたのです。昭和初期 と昭和58年を比較すると、肉類の消費は約11倍、鶏卵は約6倍、牛乳・乳製品は約23倍、油脂類は20倍という急激な伸びであります。

これほどの激変の裏には、戦後大量の余剰小麦の処理に困ったアメリカの周到な小麦戦略と、「パン食・高脂肪・高蛋白食こそが体位を向上させ健康増進に役立つ」とする欧米食に、盲目的に信頼を寄せてしまった戦後日本の栄養学があったのです。

そして、その結果はどうなったのか。食物が人の体を作る以上当然のことですが、欧米型の病気(ガン・心臓病・脳卒中・糖尿病・アレルギー他)の激増、まさしく"一億総半病人"の様相を呈しているのです。

では、この状況下で我々は、どう対応したらよいのでしょうか。

まず、主食から。江戸時代、地方武士が江戸にやって来ると罹り、地方へ帰ると治るという病気が続発しました。今でいう脚気(当時は江戸患い)だった のです。これは当時、精米技術が向上し、江戸で白米を食べたことに原因があったのです。戦前の脚気論争で「脚気は白米食によるB1不足」との貴重な成果を 戦後の栄養学では無視し、白米を法定米とし、B1不足には副食を数多く摂ることで帳尻を合わせようとしたのです。「毎日30種類の食品を食べよ」との指導 に象徴されています。所詮、生命力のない、バランスを失った食物をいくら食べても害を増やすだけといえないでしょうか。

白米に水を与えても芽は出ませんが、玄米だと芽が出ます。すなわち、玄米は生きているのです。生命力があるのです。人の生命を育むのに"死に餌(白 米)"がいいか、生きている玄米がいいかは容易に判断がつくでしょう。玄米が難しい時は、三分、五分づき米を。また、糠漬けを日常的に食することによって 玄米の生命力をいただく食文化も日本にはあり、実に素晴らしい民族の智恵なのです。

日本人には、米が一番で、海外からの輸入小麦で作るパンは、農薬汚染、添加物の不安がある上、日本人の食性からみてもふさわしくないと考えます。どうしてもという方は、未精白の麦を使った、添加物の少ない黒パンがよいでしょう。

最後に「生命なき食物は生命の糧とならず」として、"一物全体食(食物はその全体を食べよ)"を教えた二木謙三博士の言葉を共に味わいましょう。次回は、副食について。
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